偶像としての風間

たった数分の記者会見のためにCSチューナーを購入し、王様のブランチは何回もリピートして風間の笑顔に悶え、お江戸でござるも風間の出ているところだけ何度も再生し、ジャニショで買ったグッズ写真を何度も何度も繰り返し眺めては悦に入る。そしてきっとクラウディアの上演が始まれば足しげく会場に足を運び、有給を消費する。これが今の風間に対する態度だ。
友人曰く「愛だね」と言うのだが、果たしてそうなんだろうか。恋というにはあまりに対象が遠い。恋人になろうという訳ではないし、なれるわけもない。この感じは、教祖様と信者に近い気がする。わしと風間は一対一の人間として向き合うことは無い。例え生でも、アイドルと1ファン以上の関係ではない。わしはそれで満足している。だから風間のプライベートまでは興味ない。私服のセンスも関係ない。衣装*1を着て、キレイにメイクしてもらって*2、スポットライトを浴びている風間がいい。これが偶像崇拝のあるべき姿だと思う。風間=アイドル=偶像と考えることで様々なしこりがきれいに消えた。脳内で美化することも、あれこれ妄想してしまうことも、「可愛い」を連呼することも、なんの抵抗もなくなってくる。だって風間は偶像だもん。日記のタイトルは筋肉少女帯の「俺の罪」から取ったと前の日記で書いたけど、実際風間に対して罪の意識を持っていることは否めない。毎晩ぐっすり寝ているけれど。偶像といえば思い出すのが大槻教授の提唱するスポットライト症候群のことだ。どんな冴えないやつでもテレビに出たりステージに上がると素敵に思えるというやつだ。語弊があるかもしれないが、「芸能人になればどんなやつでもモテモテ」ってこと。スポットライトの力は確かに強力で、クラスメートに風間がいたら果たして好きになるか?それはわからない。だけど、いまのわしにとって、スポットライトは免罪符でもある。風間の偶像たる由縁がそれだからだ。つまり、風間がスポットライトを浴びている限り、わしが風間にキャーキャー言っても許される、そんな気にさせてくれる。
風間が偶像だと悟った今、「風間可愛い」と言うことにためらいはありませんよ。早い話が開き直りました。あーもういいやー。あはー。
なんか思春期の女子中学生*3の日記みたいで恥ずかしいな。筋少の「新興宗教オレ教」に出てくる女みたい。

*1:派手である必要はない。むしろ派手な衣装より普段着っぽい衣装の方が似合うよ。

*2:キレイかどうかが問題じゃなくて、テレビ出ているという姿勢が問題なのだ。

*3:こんな女子中学生嫌だ。